真珠院 八重姫の悲劇と悲恋

      2017/03/10

真珠院
伊豆の国市韮山にある真珠院には悲恋の姫君八重姫の供養堂があります。

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守護山 眞珠院

鎌倉時代真言宗として開創。室町時代に曹洞宗に開創し現在に至る。曹洞宗「禅宗」
古来修行道場として栄え「祇樹林」の別名がある。

伊豆の国市韮山の住宅街に建つお寺です。
境内には源頼朝との恋に破れ真珠が淵に身を投げた伊東祐親の娘八重姫の供養堂があります。

八重姫 悲劇の始まり

伊豆蛭ケ小島へ14歳で流罪となった源頼朝は伊豆国伊東(現伊東市)の豪族伊東祐親の監視下で日々を送っていました。伊東祐親が大番(京都の警備みたいな感じでしょうか)として館を離れた途端頼朝と八重姫は通じ合う仲になり、男児・千鶴丸を授かります。大番役を終えて帰ってきた父祐親はその男児が頼朝と八重姫の間にできた子と知り激怒します。

「親の知らない婿があろうか。今の世に源氏の流人を婿に取るくらいなら、娘を非人乞食に取らせる方がましだ。平家の咎めを受けたらなんとするのか」
祐親は泣き叫ぶ母子を引き裂きわずか3歳の千鶴丸の小さな体に石を巻きつけ、松川の上流稚児ヶ淵に沈めて殺してしまいます。
幼子を殺害しても怒りが収まらない祐親は八重姫を江間の小四郎に無理やり嫁がせ、頼朝には追手を差し向け殺害を図りますが、身の危険の知らせを受けた頼朝は現在の伊豆山神社へ逃げ込みます。
イメージ
一方八重姫はどうしても頼朝が忘れられず、侍女6人を連れ館から抜け出し、伊東から亀石峠を越え、日が暮れるまで田中山に潜み、そして韮山の頼朝監視の任についていた北条時政邸を訪れます。

この距離車でも大変です。子を殺され最愛の人とも引き離された八重姫がどんな思いでこの山を越えって行ったのか、それを考えるだけでも胸が痛くなりますね。
しかし時すでに遅し。

八重姫 悲恋

頼朝監視の任についていた北条時政が大番役として京都へ
するとあっという間に頼朝は北条時政の娘北条政子と通じ合うようになります。
八重姫が訪ねてきたのは頼朝と政子がすでに通じ合った後。頼朝と政子のことを知り門前払いをされた八重姫は真珠ヶ淵に入水してしまいました。
連れてきた待女6人も田中山で命を絶ってしまいます。

真珠院の葉桜

真珠院の葉桜

 このお話には諸説ありとされているようです。八重姫と千鶴丸に関しては曽我物語や軍記物語の源平闘諍録のみの記述

真珠院 八重姫御堂(静堂)

八重姫供養堂
真珠院境内右側にある八重姫御堂。
堂内正面に八重姫の木像を安置されており、その下に供養塔が収められているそうです。
御堂の右側には那木(なぎ)、左側には願かけ石。
那木の葉は縦に裂けず愛のお守りとして持つと功徳があるそうです。
願かけ石は自分の歳の数だけ石を叩き願い事をすると必ず成就すると伝えられているそうです。

真珠院願かけ石

願かけ石。上の丸い石を持って下の台の石に打ち付けます。

里人の想い 梯子供養

梯子供養
八重姫御堂の下に小さな梯子がたくさんありました。八重姫が入水した時、せめて梯子があったら助けることができたのに…という里人の想い。願い事が成就した時にお礼として小さな梯子を供えるという習慣が残っているそうです。あまりにも切なくてあまりにも悲しいですね。

岩に刻まれた佛 磨崖佛

佛本堂の裏手には静岡県最古の五輪塔や岩に刻まれた磨崖佛など見ることができます。

真珠院

八重姫の父の伊東祐親のその後は頼朝から恩赦を与えられました。が、それは受け入れることはできなかったのでしょう。恩赦を聞き自害したそうです。
この物語、現代の私たちからすると「もっとなんとかならなかったのかい!」と思うところ多々あります。本当に激しい時代だったのだと痛感します。
生きることも戦いも恋も今とは比べものにならないくらい激しく大変なことだったのかもしれませんね。
悲恋の物語ではありますが八重姫の一途な心は私たちに何かを与えてくれるような気もします。

御朱印を頂き、真珠院を後にしました。

真珠院
〒410-2121 静岡県伊豆の国市中條145−2

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