湯島天満宮・短編ストーリー『サクラサク坂道、ファインダー越しの未来』

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第1章:早春の予感と集合

東京の四月初頭は、冬の名残を完全に拭い去った、どこか甘く瑞々しい空気に満ちている。本郷から湯島へと続く道すがら、新生活の始まりを象徴するような、まだシワのないリクルートスーツに身を包んだ若者や、新しい制服に袖を通したばかりの学生たちの姿が目立っていた。 晴れ渡った空からは、柔らかな陽光が惜しみなく降り注ぎ、坂道を上る人々の背中を優しく後押ししている。

「チーコ、歩きながら上を見上げるな。機材バッグが電柱にぶつかるぞ」

前を歩いていた蒼井が、愛用のジンバルに固定されたシネマカメラのモニターを確認しながら、少し低い声で振り返った。 三十歳を目前に控えた蒼井は、優しい中にも仕事に対する妥協のない厳しさを持った映像クリエイターだ。数々の現場で酸いも甘いも噛み締めてきたからこそ、彼の言葉には常に確かな説得力と、後輩を育てるための温かい眼差しが宿っている。

「だって先輩、見てください! 空が本当に真っ青で、雲一つないんですよ。今日ここで撮影できるなんて、それだけでウキウキしてきちゃいませんか?」

チーコは首から下げた愛機――角の塗装が少し剥げかけたフルサイズミラーレスカメラを両手で愛おしそうに包み込みながら、のんびりとした、けれど太陽のように明るい笑顔を浮かべた。 大学時代の先輩後輩という関係から、蒼井の熱心な誘いによってこの世界に飛び込んだチーコ。普段はどこか抜けていて、放っておけば反対方向の電車に乗ってしまうような危なっかしさがあるが、彼女の持つ「光を捉える天才的な感性」を、蒼井は誰よりも評価し、そして大切にしていた。

「仕事だぞ、チーコ。浮かれるな。今回はいつもの『合格祈願』のロケとは違う。新学期が始まる前に、無事にサクラサクの願いを叶えた人たちの『合格御礼参り』がテーマだ。絵作りのトーンも、冬の張り詰めた空気から、感謝と解放感に満ちた温かいトーンに切り替えなきゃいけない。お前、ちゃんと頭の切り替えはできてるんだろうな?」

「もちろんです! 冬のあの『絶対に合格するぞ』っていう熱い境内も素敵でしたけど、今日のこの、みんながホッとして笑顔を咲かせている空気、私のカメラで絶対に最高の形にして残してみせます!」

チーコは小さな拳を握り、うきうきとした足取りで切通坂を上っていく。二人はビジネスパートナーとして、何十回もこうしたロケを共にしてきた。互いを深く信頼し、慕い、慕われる関係。けれど、最近の二人の間には、仕事の会話のすぐ裏側に、名前のつかない特別な体温がほんのりと漂い始めているのを、お互いに薄々感じていた。

チーコと蒼井の参拝ストーリー 湯島天満宮、男坂より
チーコと蒼井の参拝ストーリー
湯島天満宮、男坂より