詳細な由緒・御縁起(歴史の裏話まで)
まず重要なのは、飯倉熊野神社の正確な創建年代は分かっていないということです。
港区観光協会は、元禄16年(1703年)の火災で旧記録が焼失したため、勧請や創建の詳細は不明としています。したがって、「養老年間創建」は確定史実ではなく、神社に伝わる由緒として扱うのが適切です。
・養老年間説
伝承では、元正天皇の御代、養老年間(717~724年)に芝浦の海辺へ勧請されたとされています。
『江戸名所図会』などにも、養老年間に芝浜へ勧請され、後に当地へ遷座したという趣旨の記録が伝わっています。
現在の麻布台はかなり内陸に見えますが、古代・中世の東京湾岸の風景は現在とは大きく異なります。
この「もともとは海辺の熊野社だった」という要素は、恵比寿神の漁業・航海信仰とも物語上よく響きます。
・別の勧請説
一方、『御府内備考』系統では、慶祚という阿闍梨が熊野三山を勧請したという説も伝わっています。
つまり、養老年間の芝浦勧請説と僧侶による熊野三山勧請説の複数説が存在します。
・太田道灌による再興
文明年間(1469~1487年)、江戸城築城で知られる太田道灌が再興し、太鼓などを寄進したと伝わります。そして飯倉熊野神社の物語性を一気に高めるのが、境内社の恵比寿太田稲荷社です。太田道灌は出陣・凱旋の際、現在の赤羽橋付近にあった「勝手ヶ原」で軍勢を整え、熊野神社へ参拝したと伝えられています。その際、戦勝祈願または戦勝への感謝として鯛を供えたことから、後世の人々もそれにならって土製の鯛を奉納するようになったとされます。ここから稲荷神と恵比寿神の信仰が重なり、恵比寿稲荷 太田稲荷と呼ばれるようになったと伝えられています。
・面白い裏話
当時、この付近には土器職人が多くいたため、神社近くには「土器坂」という坂名も伝わります。土製の鯛を作れる職人が近くにいた土地だからこそ、太田道灌が鯛を供える → 庶民が土製の鯛でそれを再現する →恵比寿信仰として定着するという地域文化になった可能性が語られています。
・江戸時代
江戸時代には旧飯倉町の鎮守として信仰されました。
寛永寺末の三集山正宮寺が別当寺を務めたとされ、武家からの崇敬も厚く、仕官など人生の節目に参拝して熊野牛王神符を受けたとも伝えられています。牛王神符は熊野信仰において、厄除けの札だけではなく、歴史的には誓約文書にも用いられてきました。
つまり飯倉熊野神社は、導き、戦勝、帰還、誓い、が全部つながります。
・明治以降
明治5年(1872年)に村社へ列格。明治21年(1888年)には宮城県の鹽竈神社から御分霊を勧請・合祀し、明治29年(1896年)には三田稲荷神社を合祀したとされています。恵比寿太田稲荷社は一時本社へ合祀されましたが、2020年12月に氏子・崇敬者の奉賛によって新しい社殿が造営されました。
御祭神
熊野三神を中心とした神々
主祭神として、
素戔嗚尊
伊弉諾尊
伊弉冉尊
が祀られていると案内されています。
素戔嗚尊
荒々しい神として知られる一方、八岐大蛇を退治し人々を救う英雄的側面も持ちます。
伊弉諾尊・伊弉冉尊
日本神話の国生み・神生みを担う夫婦神です。
相殿神
資料では、
塩竈大神
宇迦之御魂大神
火之加具土大神
などが祀られているとされています。
恵比寿太田稲荷社
こちらでは恵比寿・宇迦之御魂命が信仰されています。太田道灌の戦勝祈願・鯛奉納伝承を受け、現在は港七福神の恵比寿神を担当します。
恵比寿神は、もともと漁業・航海安全の神として信仰され、その後、商売繁盛の神として広く信仰されるようになりました。
境内の見どころと現地体感
飯倉熊野神社は、大規模な境内ではありません。むしろ、桜田通り、麻布台のビル、東京タワー、坂道、に囲まれた都会の小さな鎮守というのが魅力です。港区観光協会も、島崎藤村が飯倉周辺を好んで散歩したことを紹介しています。
① 石鳥居と階段
鳥居をくぐると、数段の石段を上って境内へ入ります。道路から神域までの距離が短いため、「車の音がしているのに、階段を上がると急に神社」という現代東京らしい画が撮れます。
② 拝殿
階段を上がると比較的すぐ正面に拝殿があります。周囲を現代建築に囲まれたコンパクトな境内なので、「古い社殿と麻布台のビル」という対比が強く出ます。
③ 八咫烏
熊野信仰を象徴する神使です。JFAも、三本足の烏について、神武東征で神武天皇を導いた八咫烏との伝承を紹介し、「勝利へ導く存在」としてサッカー界で親しまれていると説明しています。
④ 恵比寿太田稲荷社
2020年に新調された小さな境内社です。港七福神の期間には、こちらの恵比寿神が重要な主役になります。
⑤ 水みくじ
現地参拝記録では水みくじと専用のつくばいも確認されています。
年間の注目行事&キーアイテム
1月 港七福神めぐり
飯倉熊野神社は恵比寿神を担当します。
港七福神期間中は通常より授与所時間が延長され、2026年は1月12日まで9時~17時、その後は通常9時~16時へ戻ると公式Xで案内されました。期間中は御朱印が書き置きのみになるなど運用変更もあります。
節分
過去・近年とも節分を題材にした限定御朱印が確認されています。
祈年祭
春季の限定御朱印展開も確認されています。
端午の節句
端午の節句限定御朱印の頒布実績があります。
「勝負」「成長」という点で、八咫烏・サッカーとの相性がよい時期です。
6月 例大祭
2026年は6月5日~7日が御祭禮期間、6月5日に大祭式と公式Xで案内されました。例大祭特別御朱印は6月1日~30日、紙朱印で500円でした。
2025年6月の港区記録からも、例祭時には周辺道路や歩道を使用した祭礼運営が行われていることが確認できます。
※昔の祭りの姿
港区資料には、明治中期頃の飯倉周辺について、
- 町内の軒先に提灯
- 商家に金屏風
- 緋毛氈
- 生花
などが飾られた熊野神社の夏祭りの様子が紹介されています。
夏越の大祓
公式Xでは夏越大祓の形代受付と「夏越大祓御朱印」の頒布を案内しています。
七夕
2026年も七夕御朱印が頒布され、公式Xでは7月20日まで継続授与されたことが確認できます。
9月 重陽・十五夜
公式Xでは、2026年についても9月に重陽の節句御朱印、十五夜御朱印、を予定すると案内しています。
過去には十五夜御朱印に、月、兎、八咫烏、を組み合わせた意匠もありました。
新嘗祭・年越大祓
近年の限定御朱印実績として新嘗祭・年越大祓も確認できます。
特別な授与品&キーアイテム
最重要① サッカー御守
飯倉熊野神社を象徴する授与品の一つです。
港区観光協会は、日本サッカー協会公認のサッカー御守が白と青の2種類あると紹介しています。JFA自身も八咫烏を「勝利へ導く存在」と説明しています。
最重要② 熊野牛王神符
飯倉熊野神社では熊野牛王神符が授与されています。現在確認できる資料では初穂料800円です。八咫烏を組み合わせた独特の烏文字で表される神符で、熊野信仰では厄除けだけでなく、歴史上は誓約にも使われました。
八咫烏系授与品
過去の公式案内では、千鳥格子と三羽の八咫烏を配したオリジナル「健康身代り守」が紹介されています。現在の授与状況は変動する可能性があるため、執筆時に再確認が必要です。
恵比寿土鈴
港区観光協会が、サッカー御守と並ぶ特徴的な授与品として恵比寿さまの土鈴を紹介しています。土製の鯛を奉納した伝承ともつながるため、物語上非常に使いやすいアイテムです。
御朱印と季節展開
飯倉熊野神社は、季節御朱印の展開が比較的豊富です。
通常御朱印のほか、
- 港七福神・恵比寿
- 節分
- 祈年祭
- ひなまつり
- 端午の節句
- 例大祭
- 夏越大祓
- 七夕
- 重陽
- 十五夜
- 新嘗祭
- 年越大祓
などの実績が確認できます。
通常御朱印の初穂料は、2026年確認資料では500円です。また、熊野牛王神符を御朱印帳へ貼れる形式として扱う例もあり、初穂料800円とされています。
御朱印受付時間
通常の授与所受付時間は9時~16時と、飯倉熊野神社公式Xが案内しています。
2026年港七福神期間は、1月12日まで:9時~17時その後、通常:9時~16時へ戻りました。御朱印については祭事時に書き置き限定になる場合があります。
詳細アクセス
所在地:東京都港区麻布台2-2-14。
・都営大江戸線・赤羽橋駅
港区観光協会では徒歩6分、神社公式Xではおおむね徒歩7分と案内されています。
・東京メトロ日比谷線・神谷町駅 公式Xでは徒歩約7分。
徒歩10分圏内の近隣パワースポット
ここは少し厳密に分けます。徒歩時間はルートと信号でかなり変わります。
① 宝珠院 約10~15分
港七福神の弁財天を祀る寺院です。参拝者記録では飯倉熊野神社との徒歩移動は10~15分程度とされています。
② 東京タワー・芝公園方面
宗教施設そのものではありませんが、飯倉熊野神社のすぐ近くに東京タワーがあり、都市景観の転換点として使えます。芝公園内には複数の寺社があります。
③ 増上寺 実際の徒歩では10分を少し超える可能性があります。
増上寺自身は赤羽橋駅から徒歩7分、神谷町駅から徒歩10分と案内しています。飯倉熊野神社との位置関係を考えると、10~15分程度を見ておく方が安全です。
④ 増上寺熊野神社
増上寺境内には、別の熊野神社があります。元和10年に増上寺鎮守として勧請された熊野権現で、飯倉熊野神社とは別の神社です。
10.チーコと蒼井の取材メモ
① チーコの取材メモ
プロカメラマン視点
第一撮影テーマは八咫烏。
鳥居の提灯や社殿周辺にある八咫烏意匠を探す。
鳥居から階段を低い位置で狙って、石鳥居 → 階段 → 拝殿を一枚に入れる。
東京タワーまたは麻布台の高層建築を背景に入れ、古い熊野信仰と現代東京を同じフレームへ入れたい。
恵比寿太田稲荷社は、社だけを撮るのではなく、鯛、恵比寿、太田道灌、戦勝が分かるカットを拾う。
港七福神期間は恵比寿像や七福神参拝者の動きを撮りたい。
サッカー御守は、「少年の手」「父親の手」「バッグにつけられた御守」のように人物と合わせると物語性が出る。
例大祭は提灯、人の流れ、町と神社の境界を撮影。
夜の十五夜御朱印企画なら、月、八咫烏、東京タワー、の3点を狙いたい。
そして最後に撮りたいのは、鳥居の向こうを歩いていく蒼井の後ろ姿。理由は本人には言わない。
② 蒼井の取材メモ
チーフプロデューサー兼映像クリエイター視点
この神社の映像テーマは、「導かれる人」が一番強い。
ナレーション候補は、「道を知っている人と、道を示してくれる人は違う。」そこから八咫烏へつなげる。
太田道灌編は、出陣→戦勝祈願→帰還→鯛を奉納の4カット構成。
恵比寿太田稲荷社では、歴史説明を長くしすぎず、「勝つために祈った武将が、帰ってきて鯛を供えた」という人間的な部分を中心にする。
牛王神符は長編向け。「誓った言葉は、何十年経っても消えるのか」というテーマが使える。
サッカー御守は現代編に向く。試合に勝つ話にするより、試合に出られない少年、引退する選手、
子どもの試合を見守る父親などのほうがチームケロ作品に合う。