雨の名残
日曜日の午後、麻布十番駅の七番出口を出ると、雨は上がっていた。
傘を閉じた人たちが、急に増えた明るさへ戸惑うように歩いている。車道にはまだ灰色の水が残り、通りを走る車が細かな飛沫を上げた。
十番稲荷神社は、大江戸線の七番出口を出てすぐのところにある。
昔、妻と来たときも近いと思った。だが、同じ近さでも、二人で歩く数歩と、一人で歩く数歩では、長さが違う。
鳥居の前で立ち止まった。
左には宝船、右には蛙の石像がある。昨日まで画面の中にあった風景が、今日は私の目の前で雨に濡れていた。
「ケロさん、休日まで取材ですか」
誰かに見つかったら、そう聞かれるかもしれない。
そのときは、散歩だと答えるつもりだった。仕事ではない。少なくとも、今日はまだ。
石段を上がり、拝殿の前へ進んだ。鈴の音がひとつ響き、少し遅れて街の音が戻ってくる。
私は手を合わせた。
願い事は考えてこなかった。
若いころは、商売のこと、暮らしのこと、健康のこと、いくらでも願いたいものがあった。今は願いがないのではない。ひとつを選べなくなったのだ。
妻にもう一度会いたいと願うのは、神様にも無理な相談だろう。
それなら、せめて忘れないように、と願うべきか。
しかし私は、少しずつ忘れている。
顔の細かなところ。声の高さ。よく着ていた服の色。昔は忘れることを裏切りのように思っていたが、人の記憶は、持ち主の意地だけで守れるほど丈夫ではない。
目を開けると、雨上がりの境内に薄い光が差していた。
あの日の蛙
初めて妻とここへ来たのは、結婚してそれほど年月がたっていないころだった。
私たちは麻布十番の商店街を歩き、たい焼きを一つ買った。二つではなく、一つだったのは、妻が昼食を食べすぎたからだ。
「ひと口だけね」
そう言った妻が、最初のひと口で三分の一ほど食べた。
「それを、世間ではひと口とは言わない」
「私の口では、ひと口よ」
「ずいぶん都合のいい口だな」
「あなたの妻ですもの」
答えになっていなかった。
けれど妻は、答えになっていないことを、いかにも正しいことのように言うのが得意だった。
神社の前まで来ると、妻が蛙の石像を見つけた。
「見て。あなたに似ている」
「どこが」
「黙っていても、何か言いたそうなところ」
「蛙は何も言わない」
「あなたも、肝心なことは言わないでしょう」
私は反論しようとしたが、妻はもう蛙のそばへ寄っていた。
十番稲荷神社の蛙には、麻布に伝わるがま池の伝説が重なっている。神社の公式由緒によれば、文政四年、西暦一八二一年の大火で、山崎主税助の屋敷だけが類焼を免れた。屋敷内の池にいた大蛙が水を吹きかけ、火を退けたという言い伝えから、「上の字様」と呼ばれる札が防火、火傷除けの信仰を集めたという。
のちに「かえる」の語音から、旅行や入院から無事に帰る、元気で帰る、失くした物が帰るといった願いにも結びついた。
妻は、そうした説明をひと通り読んでから私を見た。
「あなた、帰りが遅いでしょう」
「仕事だから仕方がない」
「分かっています」
「だったら」
「分かっていることと、心配しないことは別です」
妻は蛙へ向き直った。
「この人が、毎日ちゃんと帰ってきますように」
「毎日は大げさだ。今まで帰らなかったことはない」
「これからも、というお願いです」
それから彼女は、何かを思いついた顔をした。
「今日から、あなたはケロね」
「嫌だ」
「もう決めました」
「本人の同意は」
「今、いただきました」
「いつだ」
「嫌だ、と返事をしたでしょう」
妻は笑った。
笑いながら、残っていたたい焼きを全部食べた。
そうして私は、ケロになった。
帰るという願い
現在の蛙の前で、私は古い写真を取り出した。
妻が蛙の隣に立っている。
写真の中の私はいない。撮っていたのが私だからだ。
妻はカメラに向かって笑っている。少し傾いた写真で、石像の頭が切れかけている。チーコなら、もっときれいに撮っただろう。
けれど、きれいでないから捨てられない写真もある。
昨日、事務所でチーコの写真を見たとき、私は妻が私をケロと呼んだ日のことを思い出した。
長い間、私はあれを妻の駄洒落だと思っていた。
彼女は言葉遊びが好きだったし、私に変な呼び名をつけて面白がっていた。だから「無事にかえる」も、その場の思いつきだと受け取っていた。
だが、一人で同じ場所に立つと、少し違って見えた。
妻は、私に帰ってきてほしかったのだ。
立派な夫になれとも、偉くなれとも言わなかった。仕事で成功しろとも、金を稼げとも言わなかった。
ただ、帰ってきてほしいと願った。
私は、その簡単な願いを、ずいぶん軽く受け取っていた。
「毎日、帰っていたつもりだったんだがな」
蛙に言ってみた。
だが、帰宅時間が遅い日も多かった。疲れたと言って、妻の話を半分しか聞かない夜もあった。同じ家に戻ることだけを、帰ることだと思っていた。
妻が待っていたのは、玄関の扉を開ける私ではなく、自分のところへ心まで戻ってくる私だったのかもしれない。
今となっては、確かめられない。
分からないことを、都合よく妻の答えにしてしまうのはよそう。
それでも私は、あの日の彼女の顔を、もう一度見た。
写真の中の妻は笑っていた。
雨上がりの参道
参拝を終え、石段を下りた。
鳥居の左側にある宝船へも足を向けた。十番稲荷神社は、港七福神の七柱に宝船を加えた八つの巡拝所の一つで、宝船のお社として知られている。正月の巡拝期間には、この土地を歩く人が増える。
妻と港七福神を巡ろうと話したこともあった。
結局、二人で八か所すべてを歩くことはなかった。
以前の私なら、それも果たせなかった約束の一つに数えただろう。
しかし今日は、十番稲荷神社へ来た。
一か所しか歩けなかったのではない。一か所を歩くことができたのだ。
似ているようで、意味はずいぶん違う。
駅へ戻る前に、スマートフォンを取り出した。
チーコから、昨日の夜にメッセージが届いていた。
〈オーナー、蛙の写真、もう一枚あります。こっちの方が表情がいい気がするんですけど、どうでしょう〉
蛙の表情が違うものかと思いながら、添付された写真を開いた。
確かに、違って見えた。
雨粒の位置と光の向き。それだけのことなのに、昨日の写真より少し笑っているようだった。
私は返信欄に文字を打った。
〈こちらを使いましょう。いい写真です〉
送信してから、もう一行加えればよかったと思った。
私がケロと呼ばれるようになったのは、この蛙がきっかけなのだ、と。
だが、それは次に会ったときでいい。
全部を一度に話さなくても、明日は逃げない。
麻布十番の通りを歩き始めると、雲の切れ間から光が落ちた。濡れた舗道が白く光り、人の影が長く伸びていた。
妻と歩いたとき、私たちは駅まで何を話したのだろう。
思い出せなかった。
不思議と、それでよかった。
大切だったのは言葉ではなく、隣に彼女の歩幅があったことなのだろう。
その歩幅は、もう隣にはない。
私は一人で歩く。
一人で歩きながら、かつて二人だったことを忘れずにいる。
帰宅すると、机の一番下の引き出しを開けた。
御朱印帳は、昨日と同じ場所にあった。
今夜は、手を伸ばした。
表紙に触れ、ゆっくりと引き出す。
妻と歩いた東京が、思っていたほど重くはなかった。
私は最初の頁を開いた。
そこには、まだケロと呼ばれていなかったころの、私の字が残っていた。
十番稲荷神社の基本情報
所在地 東京都港区麻布十番1-4-6
交通 都営大江戸線 麻布十番駅7番出口を出てすぐ隣
開門 窓口受付 9時から17時
御朱印 2026年9月14日確認時点では書き置きのみ
特徴 がま池伝説ゆかりの蛙と 港七福神の宝船のお社
出典と確認日
十番稲荷神社 公式サイト
https://www.jubaninari.or.jp/
ガマ池伝説ゆかり、港七福神の宝船、大江戸線7番出口、開門・窓口9時から17時、御朱印は書き置きのみ。最終更新日 2026年8月31日。
十番稲荷神社 がま池とかえる御守 上の字様
https://www.jubaninari.or.jp/gama.html
1821年の大火、がま池伝説、上の字様、かえるの御守の由来。
十番稲荷神社 港七福神めぐり
https://www.jubaninari.or.jp/seven.html
宝船を含む8巡拝所、実施期間、宝船の位置と由来。
東京都神社庁 十番稲荷神社
https://www.tokyo-jinjacho.or.jp/minato/5157
所在地 東京都港区麻布十番1-4-6。
確認日 2026年9月14日
物語内のケロ、亡き妻、Teamケロの会話と出来事はフィクションです。社寺に関する事実は上記公式情報を基にしています。