矢先稲荷神社、(東京・台東区松が谷)長編ダブルストーリー

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【第一部:佐久間&ヤヨイ 取材本編】

『百頭の駿馬が駆ける格天井と、的を射抜く矢先——十一月の静寂にほどく時空の絵巻』

第一章:かっぱ橋の秋風と、通し矢の記憶

十一月中旬の浅草・松が谷。晩秋の澄み切った陽光が、イチョウの葉を黄金色に染め上げていた。かっぱ橋道具街の賑やかな喧騒からわずかに路地を入ると、都会の喧騒が嘘のように静まり返り、端正な朱塗りの鳥居が姿を現す。 からし色のシックな着物に身を包んだヤヨイは、丸眼鏡の位置をそっと直しながら、境内に満ちる凛とした神気に息をのんだ。

「道具街の活気から一歩入っただけで、こんなにも厳かで澄んだ空気に包まれるなんて……。佐久間君、ここが徳川家光公ゆかりの『矢先稲荷神社』なのね」

木々模様の冬仕立てのジャケットを端正に着こなした佐久間学は、ヤヨイの手荷物と重い取材用カメラバッグを片肩に担ぎ直し、穏やかな声で微笑んだ。

「ええ。寛永十九年、三代将軍・徳川家光公が京都の三十三間堂に倣って、この地に『浅草三十三間堂』を建立しました。弓術の練成である『通し矢』が行われた際、長い射場のまさに矢が向かう先――的の背後に祀られたことから『矢先稲荷』と名付けられたのです」

「矢が向かう先……つまり、放たれた矢がまっすぐに射抜く『的』そのものを守護する場所だったのね」

「その通りです。元禄の大火で三十三間堂本体は深川へと移転しましたが、この地の町衆が『鎮守様として稲荷社だけは残してほしい』と幕府に強く懇願し、今日までこの地に残り続けました。狙った的を決して外さない勝運、そして人々の切実な祈りが宿る社です」

手水舎で清め、拝殿前で並んで二拝二拍手一拝を捧げた二人。佐久間は静かに社務所へ声をかけ、拝殿への昇殿を案内された。

第二章:格天井に広がる『日本馬乗史』百枚の壮大なる叙事詩

靴を脱ぎ、拝殿の中へと足を踏み入れた瞬間、ヤヨイは思わず息を呑み、その場で立ち尽くした。 頭上――高い格天井一面を埋め尽くすように、無数の絵画が整然と並び、圧倒的な躍動感をもって見下ろしていた。

「あ……っ、佐久間君、見て……! これは、一体……!」

「日本画家・海老根駿堂(えびねしゅんどう)画伯が、昭和三十五年から約五年の歳月を費やして完成させた天井画『日本馬乗史』百枚です。神話の時代から昭和に至るまで、日本の歴史を創り上げてきた名馬と英雄たちの姿が、精密な時代考証のもとに描かれています」

ヤヨイは首が痛くなるのも忘れ、ただただ吸い込まれるように天井を見上げ続けた。 神武天皇や聖徳太子といった神話・古代の騎馬姿から始まり、源頼朝、白馬を駆る巴御前の凛々しい姿、戦国を駆け抜けた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康……。 そしてヤヨイの目が、ある一枚の絵で釘付けになった。

「佐久間君、あそこ……! 急峻な石段を、人馬一体となって力強く駆け上がっていくあの絵は……」

「曲垣平九郎(まがきへいくろう)の『愛宕神社の出世の石段』ですね。家康公の命を受け、誰もが怯んだ急勾配の石段を馬で駆け上がり、見事に梅の枝を手折って献上した講談の名場面です。名もなき武士が一夜にして天下にその名を轟かせた、究極の勝運と出世の象徴ですよ」

「なんて力強い蹄(ひづめ)の音かしら……。絵の中から、馬たちの息遣いや武将たちの研ぎ澄まされた気迫が、そのまま降り注いでくるようだわ。一枚一枚に、時代を切り拓こうとした人間の情熱が凝縮されているのね」

ヤヨイは愛用の万年筆を握りしめ、胸を打たれた想いをノートへと走らせた。

「的を射抜く『矢先』の集中力と、前へ前へと駆け抜ける『百頭の名馬』の躍動……。迷いや恐れを振り払って、己の信じる道をまっすぐ進めと、背中を押されている気がするわ」

第三章:福禄寿の白鶴と、紡がれる言葉の矢

天井画の迫力に圧倒されたあと、二人は拝殿の奥に鎮座する御神像へと視線を移した。 そこには、傍らに気品ある白鶴を従え、長い頭と豊かな白髯をたたえた「福禄寿」が、静かで慈悲深い笑みを浮かべて鎮座していた。

「浅草名所七福神の福禄寿様……。幸福の『福』、財・地位の『禄』、そして健康長寿の『寿』。すべてを円満に調和させる神様ね」

「ええ。勇猛果敢に的を射抜き、時代を駆ける武将たちの力強さの先にあるのは、人々の平和と円満な暮らしです。矢先稲荷神社には、勝負に挑む『剛』の力と、人生を豊かに包み込む『柔』の慈悲が、見事に溶け合っています」

佐久間はヤヨイの横顔を真っ直ぐに見つめ、静かに言葉を重ねた。

「ヤヨイさん。あなたが紡ぐ言葉は、まさに弓から放たれる清らかな矢です。時に人の迷いを射抜き、時に温かな福を届ける。その矢が迷わず読者の心の的へと届くよう、僕がどんな時も風を読み、あなたの最高の弓の弦(つる)であり続けます」

「佐久間君……」

ヤヨイは眼鏡の奥の瞳を潤ませながら、優しく微笑み返した。

「ありがとう。あなたという揺るぎない的先(パートナー)がいてくれるからこそ、私はどこまでも遠くへ、言葉の矢を放つことができるのね」

晩秋の柔らかな光が拝殿の格子を通して差し込み、百枚の名馬たちと福禄寿の神像を温かく照らし出していた。

【第二部:ちーこ&蒼井 スピンオフ・ダブルストーリー】

『かっぱ橋の秋晴れと、百枚の駿馬に重ねるシャッターチャンス』

第一章:【ビジネスアフターフォロー編】超広角パノラマで刻む歴史の躍動

「うっわぁぁぁ〜〜〜っ! 蒼井さん見て! 天井が! 天井ぜ〜んぶがお馬さんだよっ!」

十一月の午前、矢先稲荷神社の拝殿に上がったカメラマンのちーこは、両手を広げて上を見上げ、目を丸くして歓声を上げた。

「声を落とせ、ちーこ。神前だぞ。……だが、ヤヨイさんたちのレポート通り、これは凄まじいな」

チーフプロデューサー兼ディレクターの蒼井は、黒縁メガネの奥の鋭い瞳を天井に向けた。 超広角レンズを装着したカメラを構え、三脚の高さを微調整する。

「神武天皇から愛宕神社の出世の石段、信長、秀吉、近代の馬術まで……百枚の格天井画が織りなすパノラマか。自然光が横から入るこの午前中の時間帯、絵の具の立体感と木枠の陰影が最高に際立つぞ」

「了解! 私、愛宕の石段を駆け上がる馬のダイナミックな寄りと、天井全体の俯瞰パノラマをシネマティックに押さえるね!」

ちーこは息を止め、ファインダー越しに絵画と対峙した。蹄の力強い踏み込み、武将の引き締まった視線。一枚一枚に込められた魂を、4Kの高精細な映像へと克明に焼き付けていく。

「ふぅ……っ! 蒼井さん、福禄寿様と白鶴の柔らかな表情もバッチリ撮れたよ! 『剛の馬』と『柔の鶴』のコントラスト、完璧な画が撮れた!」

「ああ、モニターで確認した。申し分ない。矢先稲荷の由緒と美術的価値が、完璧に伝わるフッテージになったな。……よし、午前の仕事は終わりだ」

「やったぁぁ! ということは、ここからは完全プライベートのデートタイムだね!」

第二章:【完全プライベートデート編】ホットラテと的射の矢守に誓う相棒の絆

「じゃーん! 蒼井さん、これ見て!」

参拝を終えて社務所から出てきたちーこは、両手に握った「的射の矢守」を誇らしげに掲げた。

「狙った的を絶対に外さない、矢先稲荷の勝運矢守! 蒼井さんの分もお揃いで受けちゃった!」

「お前、さっきの撮影中からずっと社務所の授与品コーナーチラチラ見てたもんな。……ありがとな、大事にする」

蒼井がふっと口元を緩めて矢守を受け取ると、ちーこは嬉しそうに飛び跳ねた。 二人はそのまま、すぐ近くのかっぱ橋道具街沿いにあるスタイリッシュな自家焙煎カフェへ。テイクアウトした淹れたてのホットカフェラテを手に、道具街の秋風の中を並んで歩き出す。

「ん〜っ! 珈琲の香ばしさとミルクの甘みが染みる〜っ! 蒼井さん、天井の百頭のお馬さん、本当にカッコよかったね!」

「そうだな。信長や秀吉も凄かったが、やっぱり愛宕の石段を駆け上がった曲垣平九郎の絵は迫力があった。誰も挑まなかった急坂を、己の腕と愛馬を信じて駆け抜けたっていう覚悟が伝わってきたよ」

「ねぇ蒼井さん、それって今の私たちにも似てない?」

「……俺たちが?」

不思議そうに小首をかしげる蒼井に、ちーこはラテのカップを両手で包み込みながら、まっすぐな瞳で見上げた。

「うん! 新しい映像の企画とか、誰もやったことのない面白いことって、最初は急な坂道みたいで怖いじゃん? でも、蒼井さんが前を走って、私が隣でカメラを回してれば、どんな急な階段だって絶対に駆け上がれるもん!」

「ちーこ……」

「だからね、この矢守の力と百頭のお馬さんパワーで、次の大きなコンペも絶対にど真ん中の一等賞を射抜いちゃおうね!」

秋晴れの空の下、満面の笑みで拳を突き出すちーこ。その迷いのない眩しさに、蒼井は照れ隠しに小さく吹き出し、彼女のキャスケット帽のつばを軽く指で弾いた。

「お前が隣でそこまで信じてくれるなら、どんな的だって外しようがないな」

「えへへ! 言ったね! 約束だよ、蒼井さん!」

手の中の温かいラテと、ポケットに忍ばせた的射の矢守。十一月の心地よい秋風に包まれながら、ふたりは互いの絆を確かめ合うように、浅草の次の聖地へと並んで歩みを進めていった。