第1章:春の日のSOSと、レザージャケットの防風林(蒼井×チーコ)

数年前の四月。大手町のビル街は、鋭利なガラスとコンクリートの谷間から吹き下ろす気まぐれな春風に洗われていた。
まだカメラマンのプロとしての覚悟もまとう前、大学生だったチーコは、どこを見上げても同じに見えるモノトーンの巨塔の狭間で、完全に路頭に迷っていた。就職のための大事な合同研修会の開始時刻は刻一刻と迫り、焦りと都会の冷徹さに押しつぶされそうになった彼女の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
携帯の画面を涙で滲ませながら立ち尽くすその時、行く手を遮るように、ひとつの大きな影が滑り込んできた。
「おいおい、何パニックになってんだ。お前がそんな顔で迷子になってるだろうと思って、飯田橋の駅を出たところから追いかけてきて正解だったな」
ぶっきらぼうに、けれどこれ以上ないほど安心をくれる低い声。見上げれば、そこには同じ大学の先輩であり、既に自主制作の映像の世界で名を馳せていたレザージャケット姿の蒼井が立っていた。
「先輩……っ! どうしてここに……っ」
「お前のSOSの行間を読んだんだよ。ほら、泣いてたら最高の光を見落とすぞ。会場はあっちだ、ついてこい」
前を歩く蒼井の、大きくて強固な背中。その背中が、大手町の冷たいビル風をすべて遮る防風林となってチーコを陰から守っていく。その途中で、二人はビルの谷間に奇跡のように静まり返る、改築前の古い『将門塚』の前に辿り着いた。
「あ……先輩、こんなに冷たいオフィス街の真ん中に、すごく静かで不思議な場所があります……」
「ここが江戸の英雄、平将門公の塚だ。よし、お前のこれからのクリエイターとしての未来がうまくいくように、手を合わせていくぞ。……ほらチーコ、焦ってダッフルの襟が折れ曲がってるぞ。みっともない、直してやる」
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蒼井がチーコの前に自然な動作で立ちはだかり、その大きな手で彼女の襟元を優しく、丁寧に整えてやった。彼の指先から伝わる圧倒的な体温。そのぬくもりに、チーコの胸の奥が、都会の寒さを完全に忘れるほど熱く跳ね上がった。
2人が並んで深く頭を下げたその瞬間、古い木々がサワサワと祝福の音を立てる。そして翌日、蒼井に「昨日のお礼を神様に言いに行くぞ」と強引に誘われて初めて参拝したのが、他でもない、江戸総鎮守・神田明神の拝殿の前だった。
第2章:夏の終わりのコインと、脇役の卒業(佐久間)
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数年前の八月。燃え盛るようなアスファルトの熱気のなか、学生時代の佐久間学は、大手町のIT企業での長期アルバイト面接を前に、極度の緊張で息を詰まらせていた。
周りを見渡せば、自信に満ちあふれた優秀な学生ばかり。自分はいつも誰かの陰に隠れて生きるだけの、地味な脇役に過ぎないのではないか――。そんな孤独と将来への葛藤のなか、彼は吸い込まれるように、緑深い将門塚の前に足を踏み入れた。
都会の騒音が嘘のように遮断された、改築前の静謐な空間。
「(誰もいない塚の前で)……僕の人生には、まだ誇れるものが何もありません。だけど、もし僕にも、一生を賭けて誰かを陰から支え、その人の人生の『生涯の主役』になれるような、そんな居場所があるなら……どうか、その確かなご縁をください」
佐久間は冷たくなった缶コーヒーを強く握りしめ、1枚のコインをお賽銭箱へと滑り込ませた。深く頭を下げた彼の背中を、将門塚の古木から吹き抜けた一陣の涼しい風が、まるで「お前が盾になれ」と告げるように、優しく、力強く押した。
不思議な安らぎを胸に面接を最高の結果で終えたその翌日、佐久間は吸い寄せられるように神田明神へと足を運び、だいこく様の像の前で、未来の自分の使命を静かに祈っていたのだった。
第3章:秋の夜のトランクと、丸眼鏡を包む覚悟(ヤヨイ)
数年前の十月。大手町の企業で働きながらも、安定した生活と「自分の言葉を世に届けたい」という表現者としての狭間で、ライターのヤヨイは激しく葛藤していた。チームケロという新しい映像制作チームからの、クリエイターとしての引き抜きの誘い。
仕事帰りの黄昏時、彼女はトランクケースを引いたまま、改築前の将門塚の前に佇んでいた。ハラハラと舞い落ちる枯れ葉が、彼女の迷いを映し出すようにノートの上に落ちる。
「はぁ……。このまま組織のなかにいれば安全なのに。でも、私の言葉で、誰かの凍えそうな心を温めたい。将門公、私に、自分のレールを飛び出す勇気をください……」
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ヤヨイは細い指先で丸眼鏡の位置を直し、瞳を潤ませながら一途に手を合わせた。その時、塚の奥から吹き抜けた凛とした秋風が、彼女の迷いをすべて吹き飛ばした。
――やってみよう。私の言葉を、信じてくれる人のために。
翌日、心機一転の覚悟を胸に神田明神の男坂を一段ずつ上がったヤヨイ。そこには、彼女を将来、言葉の海のなかで一生かけて陰から支え抜くことになる、あの佐久間の未来の足跡がすでに眠っていた。
第4章:冬の閉店作業と、本気のデートの言い訳(近藤×まゆみ)
数年前の十二月三十一日。大手町のビル内にあるカフェテリアで、過酷な年末の深夜シフトを終えた近藤とまゆみは、疲れ果てた足取りで地下鉄の駅へと向かっていた。
深夜のオフィス街は人影もなく、ただイルミネーションが寒そうにまたたいている。その途中、闇のなかに妖しく、けれど温かく常夜灯に照らされた改築前の将門塚を見つけた。
「まゆみさん、バイト本当にお疲れ様! 誰もいない将門塚、なんだかすごく神秘的だね。せっかくだから、来年も一緒に楽しく仕事ができるように手を合わせていこうよ!」
「うん、そうだね近藤君! 私たち、いつもシフト一緒になるし、これもすごい縁だよね」
2人は並んで立ち、冷たい冬の空気のなかでパチパチと手を合わせた。冷え切ったまゆみの手を見た近藤は、心臓の鼓動がアニソンの重低音のようにバクバクと鳴り響くなか、人生最大の勇気を振り振った。
「あ、あのさ……! 明日はバイト休みだし、もし良かったら……この後、神田明神に初詣に行かない!? 一緒にお守り、買いに行こうよ!」
「え……っ!? うん……近藤君と一緒なら、喜んで!」
まゆみが顔を真っ赤にして頷いたその瞬間、2人の甘酸っぱい初デートの軌跡が、翌日の神田明神の賑やかな夜店のなかでスタートしたのだ。
第5章:数年後の未来、完成の祝杯と必然のサークル
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そして現在から数年後の未来――。
1年間にわたる神田明神の徹底取材記録を完璧に完成させ、業界の頂点へと上り詰めたチームケロの6人は、夕暮れ時の大手町『将門塚』の前に集まっていた。改築を終えて新しくなった石碑の周りを、あの日のように気まぐれなオフィス街のビル風が優しく吹き抜けていく。
6人は静かに並んで手を合わせ、それぞれの過去へと時計の針を巻き戻しながら、あの日にかけた「願い」の答え合わせを始めていた。
「ついに最高の記事が完成したな。違う人生を歩んできた俺たちが、数年前、この場所でバラバラに願ったことが、今、チームケロという最高の必然となってここに結実したんだ」
紺色の紬の浴衣を男らしく着こなした蒼井が、隣を歩くチーコを真っ直ぐに見つめた。チーコは『勝守』を胸にぎゅっと抱きしめ、夜空に咲く花火のような満面の笑みを咲かせる。
「先輩……っ! 私、あの時『どうかあのぶっきらぼうで優しい先輩の隣で、一生お写真を撮り続けられる最高のカメラマンになれますように。そして、いつか仕事の枠を超えた、生涯の特別なパートナーになれますように』って、将門公とだいこく様に一途に願ってたんです。今、その願いが120%叶ってます!」
「お前がそう願ってくれていたとはな……」
蒼井は少し照れくさそうにレザージャケットの襟を立て、けれど愛おしさを隠せない眼差しでチーコの手をガシッと握りしめた。
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「俺があの日願ったのは、『この泣き虫で真っ直ぐな後輩が、どんな荒波にも怯えず、世界一の光を切り取れるように。俺が一生、こいつの風を遮る最高の盾になって、隣で支え続けられますように』だ。俺たちの願いは、最初から同じ軌道を描いていたんだな」
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「ヤヨイさん、僕の願いも完璧に叶いました」
佐久間がヤヨイの冷え切った細い手を、温かいカイロごと大きな手のひらで挟み込むように包み込む。ヤヨイは丸眼鏡の奥の瞳を、嬉し涙でじんわりと潤ませながら見上げた。
「佐久間君……あなた、あの日に何を願っていたの?」
「僕はあの夏、『今はまだ誰かの陰に隠れるだけの地味な脇役かもしれないけれど、いつか自分の人生をかけて守りたいと思える最高の女性に出会えますように。その人の人生の“生涯の主役”になって、陰の盾として一生を支え抜けますように』とお祈りしたんです。ヤヨイさん、あなたに出会うために、僕はあの階段を上がりました」
「ふふ、佐久間君、本当にズルいくらいに男前ね……。実は私のあの秋の願いも、あなたの背中にしっかりと届いていたのよ。私はあの時、『安定したレールを飛び出して、自分の言葉で誰かの凍えそうな心を温めるプロのライターになれますように。そして、私の紡ぐ不器用な言葉を、誰よりも完璧に陰から理解して支えてくれる、誠実な伴侶に出会えますように』ってノートに書き留めながら祈っていたの。だから、私の人生のノートは、あなたという大きな温もりで今、いっぱいなのよ」
お互いの手のぬくもりを確かめ合う2人の後ろで、近藤とまゆみもまた、幸せそうに視線を交わし合っていた。
「近藤君、あのカフェテリアの夜の私たちの祈りも、最高のハッピーエンドになったね!」
「うん! 僕はあの厳寒の夜、『いつも過酷なシフトを一緒に乗り越えてくれる、大好きなまゆみさんと、ただのバイト仲間じゃなくて本当の恋人になれますように。明日の初詣の初デートが成功して、これから先もずっと、同じ夢を追いかける最高のコンビになれますように』って、心臓がバクバク鳴るくらい必死に願ってたんだ」
「ふふ、実は私もあの時、『いつも不器用だけど一生懸命に私を笑わせてくれる近藤君と、これからもずっと一緒にいられますように。明日のお誘いが、本気のデートでありますように』って、赤い鳥居の下で顔を真っ赤にしながら願ってたんだよ、近藤君」
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6人それぞれの口から語られた、過去の純粋な祈りの断片。それは偶然バラバラに放たれたはずの矢でありながら、神田明神の神様と将門公の目に見えない糸によって、最初からチームケロという一つの美しいサークル(円)を描くように結ばれていたのだ。

大手町から神田明神へのルートを、今度は6人でゆっくりと、確かな足跡を並べながら辿り直す。辿り着いた十月の境内は、江戸総鎮守としての気品ある秋の静寂のなかに、新しい未来へのひかりを優しく湛えていた。
「よし、チームケロ! 過去から未来へ繋がるこの最高の神田明神編、文句なしの完全勝利だ! これからも俺たちの長い旅路を、この強い縁で走り続けるぞ。大覚悟、しとけよ! 全員で、完成のお祝いだ!」
「はい! 先輩の隣なら、過去も、未来も、どんなに長い人生のロードムービーでも、どこまでだって最高の光を一緒に追いかけます!」