麻布十番稲荷神社・参拝ショートストーリー

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かえるさんは、知っている

十番稲荷神社、鳥居前にて
十番稲荷神社、鳥居前にて

都営大江戸線の麻布十番駅、七番出口。

地上へ出たチーコは、肩に掛けたカメラバッグを持ち直すと、目の前の石段を見上げた。

「本当に徒歩ゼロ分ね」

「徒歩というより、出口の隣だな」

蒼井はそう言いながら、三脚の入ったケースを肩に掛け直した。

通りを走る車の音。信号機の電子音。麻布十番の街を行き交う人たちの声。

そのすぐ横に、十番稲荷神社の鳥居が立っている。

チーコは石段を上る前に立ち止まり、鳥居の右側へカメラを向けた。

そこには、大きなかえると小さなかえるが並んでいた。

「かわいい」

ファインダーをのぞきながら、チーコが言った。

「親子かな」

「夫婦かもしれない」

蒼井の声に、チーコはカメラから顔を離した。

十番稲荷神社、カエルさん前にて
十番稲荷神社、カエルさん前にて

「どうして夫婦なの?」

「大きいほうが、少し困った顔をしている」

「それが夫婦の証拠?」

「隣の小さいほうが、楽しそうだから」

チーコはしばらく蒼井を見つめた。

「それ、誰かさんたちの話?」

「一般論だ」

「怪しいなあ」

チーコはもう一度かえるへカメラを向けた。

シャッターを切る。

大小二体のかえるは、何も答えず、仲よく同じ方向を見ていた。

十番稲荷神社、宝船前にて
十番稲荷神社、宝船前にて

鳥居の反対側には、七福神を乗せた宝船がある。

チーコは宝の文字へ寄り、光の反射を確かめながら何枚か撮影した。

「お正月には、港七福神めぐりでここにも来る人が多いのよね」

「十番稲荷は、七福神ではなく宝船を担当している」

「分かってる。いつか全部回りたいの」

「企画書は作ってある」

「えっ?」

「来年用に」

チーコは振り返った。

蒼井はいつもの平然とした顔で、境内の様子を確認している。

「決めるのが早くない?」

「どうせチーコは行くと言う」

「言うけど」

「だから先に準備した」

こういうところが、ずるい。

自分より先に、自分の来年を知っている。

チーコは何も言わず、石段を上った。

拝殿はすぐ目の前だった。

右には小さな手水舎。左には社務所。すらりとした狛犬が、都会の小さな境内を静かに守っている。

大きな神社ではない。

けれど、きれいに整えられた境内には、街の騒がしさを少しだけ遠ざける力があった。

二人は並んで拝殿の前に立った。

参拝を終えると、チーコは社務所の授与品を眺めた。

かえるのお守り。

心ノ御守。

大人気御守。

そして、さまざまな願いを込められる、小さな授与品たち。

「何か受けるのか?」

蒼井に聞かれ、チーコは心ノ御守へ伸ばしかけた手を引っ込めた。

十番稲荷神社、拝殿前にて
十番稲荷神社、拝殿前にて

「今日は取材だから」

「参拝と取材は両立する」

「そういう気分じゃないの」

「そうか」

蒼井は、それ以上聞かなかった。

聞かないから困る。

聞かれたら、ごまかせるのに。

帰りの石段を下りると、かえるたちは先ほどと変わらない姿で座っていた。

十番稲荷神社、カエルさん前にて
十番稲荷神社、カエルさん前にて

チーコは小さいほうのかえるを見つめた。

「ねえ、やっぱり親子じゃない?」

「俺は夫婦説を変えない」

「どうして?」

「長い間、同じ場所にいるから」

蒼井は先に歩き出した。

チーコはその背中を見送り、かえるへ小声で話しかけた。

「今の、どういう意味だと思う?」

もちろん、かえるは答えない。

けれど少しだけ、笑っているように見えた。

麻布十番商店街へ入ると、蒼井は迷うことなくパン屋の方向へ歩いていった。

「どこへ行くの?」

「かりんとうドーナツ」

「私、何も言ってないけど」

「十番稲荷へ来たら、必ず買うだろう」

「今日は買わないかもしれないじゃない」

「では、一つだけ買う」

「二つ」

「買うんじゃないか」

チーコは蒼井の隣へ追いついた。

少し先で、夏の街の日差しが白く揺れている。

振り返れば、十番稲荷神社のかえるたちは、二人が戻ってくる日を知っているように、今日も静かに座っていた。