第三章:秋(十一月・菊花展と未来へ繋ぐ女橋)
十一月の亀戸天神社は、夏のあの鮮やかな紫の喧騒をすっかり包み隠し、どこか格調高く、引き締まった秋の空気に満たされていた。「菊花展」の季節である。境内には、職人たちが丹精込めて育て上げた大輪の菊が並び、ツンと鼻腔をくすぐる清々しい香りが満ちていた。西に傾き始めた斜光が、白や黄色の花びらを黄金色に透かし、心字池の水面を静かに震わせている。
「チーコ、光の向きが変わってきたぞ。三番目の女橋の袂から、池に映る逆さスカイツリーと手前の菊を同じフレームに収めろ。夕日が落ちる前の、この数分が勝負だ」
蒼井がシネマカメラのジンバルをホールドしながら、鋭い声で指示を出す。三十歳手前の彼は、秋の短いマジックアワーの一瞬を絶対に逃さない。
「はい……っ、狙います。先輩、水面が本当に鏡みたい……」
カメラを構えた瞬間、チーコののんびりとした空気は一瞬で遮断される。衣服が擦れる音さえ置き去りにするような、圧倒的な集中力――「ゾーン」への突入だ。水鏡に映り込む黄金色のスカイツリー、その手前で凛と咲き誇る菊の立体感。彼女の指先は流れるようにダイヤルを回し、完璧な「未来」の情景を切り取っていく。
「……ふぅ! 先輩、撮れました。すごく静かで、でもどこか温かい絵です」
撮影を終え、いつものほわんとした明るい女性に戻ったチーコが、液晶画面を覗かせてくる。
「ああ、素晴らしいな、チーコ。お前の写真には、これから先の未来を優しく照らすような光がある。……この三番目の女橋はな、三世一念の思想で『未来』を意味する場所なんだ。俺たちのこれからの活動も、きっと良い方向に進むよ」
蒼井はチーコの真っ直ぐな瞳を見つめながら、静かに、けれど確かな重量を持った声を絞り出した。
「先輩……。私、先輩の隣で未来の景色を見続けられるなら、どんな厳しい現場でも、どこまででもついて行きたいです」
至近距離で重なる視線。秋の夕暮れの灯籠がぽっと灯る中、ビジネスパートナーという境界線のすぐ裏側で、二人の恋心は、これからの未来の約束へ向かって静かにグラデーションを深めていた。
その頃、ライトアップされた菊花展の回廊では、ヤヨイと佐久間が静かに立ち止まっていた。秋の夜風の中、二人の手が重なる。
「ヤヨイさん。僕はあなたの『未来のノート』に、僕をずっと置いてくれませんか。仕事のパートナーとしてだけじゃなく、生涯のパートナーとして」
寡黙な佐久間が口にした、一切の濁りのない真実の言葉。ヤヨイは驚きに丸眼鏡の奥の瞳を潤ませ、それから、長い黒髪を耳にかけながら愛おしそうに微笑んだ。
「……私の未来にも、あなたの名前をしっかりと書いておくわね、佐久間君」

表現者たちの誓いが集う秋の境内で、二人の関係は「生涯のパートナー」という約束へ向かって、静かに、けれど決定的に踏み出されていた。