第5章:ありがとうの余韻
「よし……今日の撮影は、これで全て終了だ。機材をまとめて撤収しよう」
夕暮れ時、湯島天満宮の境内には、まだ多くの参拝客の幸せな笑い声が満ちていた。二人はすべての機材をバッグに収め、ゆっくりと表鳥居の門をくぐり、境内を後にした。
一歩ずつ歩みを進めるごとに、境内の賑やかさが遠ざかり、切通坂を下る二人の影が石畳の上に長く伸びていく。撮影が終わった後の心地よい疲労感と、それ以上に胸を支配する温かい余韻が、二人の間を優しく包み込んでいた。
「なんだか、境内を離れるのがすごく寂しいです。お礼参りに来ていた皆さんの『ありがとう』っていう幸せな空気が、まだ自分の身体の中に残っているみたいで……」
チーコはカメラバッグのストラップを握りしめながら、少し寂しげに、けれど愛おしそうに振り返って湯島天神の杜を見上げた。
「そうだな。誰かの幸せが満ちている場所を撮るっていうのは、俺たちの心まで満たしてくれる。いいロケだった」
蒼井はチーコの隣に並び、同じように振り返った。夕日に照らされた彼女の横顔は、出会った頃のただの「可愛い後輩」ではなく、今や自分のクリエイティブ、そして人生において、なくてはならない存在になっている。 蒼井は深く息を吸い込み、ビジネスパートナーとしての境界線の向こう側へ、一歩を踏み出すように静かに口を開いた。
「なぁ、チーコ。みんな無事に入学して、新しいスタートを切ったんだ。……俺たちの関係も、ただの先輩後輩のままでいいのかな、って、今日の春の空を見てたら、ふと思ったんだ」
「え……?」
チーコが驚いたように足を止め、大きな目を丸くして蒼井を見つめた。 蒼井はそれ以上は何も言わず、「ほら、暗くなる前に事務所に戻って編集始めるぞ!」と、少し照れくさそうに歩き出した。
「あ! 先輩、ずるいです! 今の言葉、どういう意味ですかー!? 待ってください!」
トントン、と小走りで追いかけるチーコの足音が、春の夕暮れの街に響き渡る。 幸せな余韻が残る湯島天満宮の坂道で、二人の新しい季節もまた、確かな温もりを伴って、今静かに芽吹こうとしていた。

湯島天満宮、撫で牛