第七章 酉の市の夜
調査は一度そこで止まった。
印影資料は見つからない。
杉浦秋子が何かを知っている可能性は高いが、確証はない。
それから十か月。
十一月の酉の市の日、チームケロは再び十番稲荷神社へ集まった。
境内は正月とはまるで違う表情だった。
熊手を求める人。
福財布を受ける人。
提灯の光。
商店街へ続く人波。
夜の石段には、絶え間なく参拝者が上ってくる。
「人、多い」
チーコはカメラを構えながら言った。
「予想より多いですね」
ヤヨイがノートへ書き込む。
近藤君とまゆみさんは参拝者の声を集め、佐久間は祭礼資料を確認している。
蒼井は撮影全体を指示していた。
ケロは珍しく現地に来ていた。
「オーナーが現場へ来ると、予算が増えるの?」
チーコが尋ねる。
「増えません」
「即答」
「今日は重要な連絡がありました」
ケロは境内の端へ全員を集めた。
「杉浦秋子さんから、神社へ連絡がありました」
全員が顔を上げる。
「古い印影資料を持っているそうです」
「やっぱり」
ヤヨイが言った。
「今夜、返しに来る予定です」
「どうして今まで?」
まゆみさんが尋ねる。
「理由は本人から聞いてください」
午後八時を過ぎた頃、杉浦秋子が現れた。
彼女は以前より少し小さく見えた。
手には布包みを持っている。
神社の担当者とチームケロの前で、杉浦は深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
布包みの中から、薄い和紙が出てきた。
宝船の古い印影。
右下に「永坂」の文字。
なくなっていた資料だった。
「私が持ち出しました」
杉浦は静かに話し始めた。
祖父の遺品を整理した際、宝船の鮮明な写真と、少年の手紙を見つけた。
神社に残されている印影資料と合わせれば、失われた宝船の絵をより正確に復元できるかもしれないと思った。
しかし、神社へ相談しても、確証のない話として扱われるのではないかと恐れた。
「祖父は、生涯、あの子どものことを気にしていました。誰にも信じてもらえなかったからです」
「だから、印影を持ち出したんですか」
佐久間が聞く。
「重ねて見たかったのです」
杉浦はバッグから透明な板を取り出した。
宝船の写真と古い印影を重ねると、船体の線がほぼ一致した。
そして印影では省略されている船尾の部分に、子どもの姿が確かにあった。
「神社の資料を持ち出したことは、許されることではありません」
杉浦は続けた。
「でも、祖父の話が消えてしまうのが怖かった」
チーコは杉浦を見た。
「かえるの後ろに写真を置いたのも?」
「はい」
「どうして、あんな謎みたいなことを」
杉浦は少し笑った。
「正面から話す勇気がなかったのです」
蒼井が言った。
「帰る場所を失った者、という言葉は、少年だけのことではないんですね」
杉浦は目を伏せた。
「祖父の写真館は焼けました。家も、神社も、町も変わりました。祖父は戦後、別の土地で暮らしましたが、最後まで麻布へ帰りたがっていました」
「あなたも?」
チーコが聞く。
「私は麻布で育っていません。でも祖父の写真を見ているうちに、自分まで帰りたいような気持ちになったのです」
杉浦は宝船の石像を見た。
「帰ったことのない場所へ、帰りたくなることもあるのですね」
酉の市のざわめきが、境内を満たしていた。
熊手を手にした人々が笑い、鈴の音が鳴る。
蒼井は神社の担当者へ言った。
「この話を、正式な歴史として扱うことは難しいでしょう」
「そうですね」
「でも、地域に残る一つの記憶として記録することはできます」
まゆみさんが続ける。
「史実、伝承、杉浦さんのお祖父様の推測を分けて掲載すればいいと思います」
近藤君がうなずく。
「記事にするなら、断定せず、失われた絵をめぐる記憶として」
佐久間は手紙を見た。
「資料の年代や筆跡も調べられます」
ヤヨイは杉浦へ微笑んだ。
「話してくださって、ありがとうございます」
ケロが最後に言った。
「チームケロで、記録を残します。ただし、資料は必ず正式な手続きで扱います」
杉浦は何度も頭を下げた。
その夜、古い印影は神社へ戻った。