~帰る場所を写す人~
第一章 雨の日の依頼
六月の朝、チーコは蒼井から届いたメッセージを見て、ベッドの中で目を細めた。
《十時、麻布十番駅七番出口。集財祭の追加撮影》
時計を見る。
八時四十二分。
「急すぎる」
独り言を言いながら、もう一度画面を見る。
その下に続きがあった。
《雨天決行。アジサイは雨のほうがいい》
「分かってるけど」
さらに一通。
《かりんとうドーナツは撮影後》
チーコは布団を跳ね上げた。
《どうして買う前提なの》
送信すると、すぐ返事が来た。
《買わないのか》
《買うけど》
《では問題ない》
「そういう問題じゃない」
チーコは口では文句を言いながら、いつもより早く支度を始めた。
麻布十番駅七番出口に着くと、蒼井はすでに待っていた。
ベージュのコートではなく、雨に強い濃色のジャケット。
肩には映像機材。
手には透明な傘を二本持っている。
「遅い」
「三分前よ」
「俺は十五分前に来た」
「蒼井が早すぎるの」
一本の傘を渡される。
「ありがとう」
「忘れると思った」
「持ってるわよ」
チーコはバッグから折り畳み傘を出した。
蒼井はそれを見た。
「小さい」
「撮影中は邪魔にならない」
「自分より機材を優先するな」
「プロだから」
「風邪をひいて撮影できなくなるのは、プロではない」
チーコは返事をせず、目の前の石段を見上げた。
色とりどりのアジサイが、雨粒をまとって並んでいる。
「きれい」
蒼井が撮影機材を準備しながら言った。
「今日は、神社の紹介映像だけじゃない」
「何を撮るの?」
「帰る場所、というテーマの短編映像」
「十番稲荷神社だから、かえる?」
「それだけじゃない。がま池伝説、かえる御守、戦災を免れた狛犬。ここには、戻ることに関係する話が多い」
チーコは石段の下からアジサイを見上げた。
「帰る場所か」
「何か思いついたか」
「まだ」
「珍しいな」
「私だって、いつもすぐ思いつくわけじゃない」
蒼井は少し笑った。
「では、今日は探せばいい」
二人は石段を上り始めた。